「笑い」と「嗤い」はどう違う?心から笑える自分になりたい時に

ココロ美人になるコラム
この記事は約19分で読めます。
リリィ
リリィ

こんにちは!ホワイトリリィです。あなたは「笑い」と「嗤い」の違いを認識していますか?

フリーランスのライター&編集、そして美容ブロガーとしてお仕事をしている筆者は、インターネットで調べ物をする時間がとても長くなりがち。

 

そんな中でSNSを使用することもあります。トレンドの情報をいち早く入手するなら、SNSはとっても便利!

リリィ
リリィ

でも、ある時、ふと、なんだか疲れるなぁと思うことがあります。

「なぜ?楽しいはずの話題が楽しくない…。」
「みんなが楽しそうなのに、どうして自分は楽しくないんだろう…。」

リリィ
リリィ

「心から笑えなくなってる気がする」って思うことが増えてきました。。。

 

そして、筆者が気づいたのはインターネットを中心に蔓延している「嗤い」の存在と、それになぜか共感してしまう自分の心でした。

 

今回は、心美人になるコラムとして「笑い」と「嗤い」の違いについてをあなたと一緒に考えて行きたいと思います。そして、自分が心から笑えるようになることを目指す記事になっています。

 

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「笑う」と「嗤う」の定義を国語辞典で見てみる

画像引用元:pixaboy

まずは「笑う」の定義について見ていきましょう。

① おかしさ・うれしさ・きまり悪さなどから、やさしい目付きになったり、口元をゆるめたりする。また、そうした気持ちで声を立てる。 「赤ん坊がにこにこと-・う」 「照れ隠しに-・う」

「笑う」は“うれしさなどで顔を柔らげ声を出す”の意。「にこにこと笑う」「大声で笑う」「照れ隠しに笑う」

引用元:Weblio辞書より

リリィ
リリィ

なるほどね♪

こんな風に、心の底から笑えたら楽しいだろうなぁ…!

リリィ
リリィ

そんな機会はなかなか無いのだけれどね…。

 

そして、後者の「嗤う」という言葉の定義も見てみましょう。

② ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。 「愚かしさを-・う」 「陰で-・っている」 「鼻先で-・う」 「天の下に-・はれなまし/日本書紀 継体訓」

「嗤う」は“あざける。嘲笑する”の意。「笑う」とも書く。「人の失敗を嗤う」「陰で嗤っている」「鼻先で嗤う」

引用元:Weblio辞書より

これが、「嗤い」の方なんですね。なんだかよく分かる気がします。

 

インターネットによくあるのは、恐らくこちらの方。

リリィ
リリィ

「wwww」というネットスラングをつい自然に使ってしまうけれど、もしかしたらこれは「嗤い」のニュアンスを含んでいるのかもしれないわね。

ななせ
ななせ

国語辞典的に言えば、嘲るように嗤うことも、「笑う」という言葉の中に包括されているのかしら?

ゆな
ゆな

ヘえ!なんだか不思議だね。

「嗤」の熟語 「嗤笑」「謗嗤」「嗤韓」

熟語としての用例も調べてみましたが、やはりそんなに良い言葉ではない模様です。

 

「嗤笑(ししょう)」・・・あざけって笑うこと
「謗嗤(ぼうし)」・・・不明(辞典には掲載されておらず)
「嗤韓(しかん)」・・・“韓国を嘲笑う”を意味するネットスラング
ななせ
ななせ

うーん。出来るだけ生活の中では見たくない言葉たちね…。

リリィ
リリィ

韓国コスメが大好きなわたしとしては、韓国の方はお友達なんだけどな〜…。

ゆな
ゆな

同じ人間同士、分かり合えたらいいんだけどね・・・

さて、もう少し掘り下げて「嗤い」が何故不快なのかを考えていきましょう。

 

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「嗤う」は他人を愚かだとあざわらい、下に見る行為

「嗤い」を不快に感じる一番わかりやすい理由は、人を嘲笑するからですよね。それが不快なのはおそらく筆者だけではなくて、誰だってそうだと思うんです。

ゆな
ゆな

嘲るように笑われたら嫌な気持ちになるのは当然じゃんね!

リリィ
リリィ

わたしはその背景に「見えないマウンティング」という行動が存在しているような気がするの。

 

他人を見下して「嗤う」人…。インターネットから出て、実生活で目の前に存在したのなら、きっとすごく不快に感じるはずです。だって、人の上にマウンティングして「自分はあの人より優れている」ということを誇示して、安心しているのですから…。

 

「勝ち組」や「負け組」という言葉にもあるように、そして経済で「競争」という言葉があるように、わたし達は知らず知らずのうちに、勝ったり、負けたり…いつも誰かと競っている

 

そういった闘いのような生活を送っているうちに、知らず知らずのうちに人の上にマウンティングをすることが当然のようになっているのだとしたら…。

リリィ
リリィ

そう考えると、ちょっと怖いですね・・・。

 

「嗤い」は自分の中にも潜む…あの山月記にも

そしてさらに深いところを考えていくと、「嗤い」に不快感を覚えるのは、自分の中にもその感情が少なからず存在するからだと思うんです。

 

自分の中の汚い部分、普段は見たくもないような負の感情が、他の人の「嗤い」に共感することによって浮き彫りになってしまう。そして一度共感してしまったら、自分の中にも「嗤い」がたちまち浸透していく。

 

例えば透明な水の中に黒い絵の具をたった一滴でも落としたとしたら、そこから周りの方ににじむようにどんどん黒い色がモヤッと広がっていくみたいに。

リリィ
リリィ

「嗤い」はそんな風に人の心の中に黒いもやをかけているような気がしますね。

 

学生時代に習った『山月記』という文学作品の中にも、次のような一文があります。

嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)

引用元:青空文庫 山月記/中島敦 より

虎になってしまった主人公の李徴が、友人に「自分を嘲笑ってくれよ」とこぼします。それを見た友人の袁傪が「そういえば彼は昔から自分をあざ笑うような癖があったんだよな…」と思い出す一節ですね。

 

山月記のあらすじをざっくりと

この作品の主人公の李徴(りちょう)は若い頃はとても優秀な官僚でした。李徴は自分の才能に過剰なプライドを持っていて、一度は転職して詩人の道を志すのですが、なかなか目が出ず挫折。そして地方の公務員に戻ります。

しかし復職した後も、「なんで優秀な自分がこんなことを…?」とどこかで他人を見下し嘲笑いながら、現状に満足出来ない自分に葛藤していたのです。

そんな彼は、ある日出張先で発狂し、消息を断ってしまいます。消息を経って随分経ってから、実は彼は虎になっていたと判明するのでした。

李徴は、1日の中でも虎の時間と人間の心が戻る時間があり、我にかえると自分が恐ろしくなるということを、偶然再会した友人の袁傪(えんさん)に打ち明けます。

そして今度は詩人になれず虎になった自分を嗤ってくれと言うのです。袁傪が虎になってしまった理由を問うと、臆病な自尊心と尊大な羞恥心を抱え、それを克服できないまま家族を顧みず身勝手な振る舞いを続けたのが原因かもしれないと打ち明けます。

最後には、李徴が人間としての理性を忘れて月に向かって咆哮しているのを、袁傪が泣きながら見守るシーンで終わるお話です。

リリィ
リリィ

李徴は自身の内面に居る猛獣に克つことができなかったのですね。

歪な自尊心を抱えながら他人や自分自身を嗤う人間の心の機微がとてもよく分かる作品ですが、これを読んだことのある方なら、誰しも少なからず共感したことがあるはず。

 

多くの人が李徴に対して「因果応報だ!」「身勝手だったから虎になったザマァw」という風には感じないはず。

 

最後には人間の心を無くすことに怯え、人間の心を保っている時間の苦しさに葛藤しながらも、ようやく自分自身の愚かさを見つめてかつての友人と向き合って月に吠える虎の姿を見て、どこか物悲しい気持ちになったのではないでしょうか。

リリィ
リリィ

大人になった今でも、この作品のことをとても良く覚えているわ。

リリィ
リリィ

読み終わった後の、なぜか不思議な気持ち、今なら分かる気がするの。

 

そんな風に共感してしまうのは、わたしたち人間なら誰しも心に猛獣を飼っている誰だって臆病な自尊心と尊大な羞恥心を、少なからず抱えているからなのです。

 

誰かに勝ちたい気持ちが行きすぎて、本来は尊い感情であるプライドが歪になってしまい、誰かを「見下す(嗤う)」ことがあるし、嗤っている人に共感してしまうことだってあるのだと思うのです。

 

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「嗤い」はインターネットを中心に蔓延している

画像引用元:pixaboy

インターネットを利用していて不快な「嗤い」を感じる箇所は多々あります。特に人の本音が見えやすい匿名掲示板やSNSでは「嗤い」が当たり前のように蔓延っている・・・。

 

誰かが無邪気に投稿した旅行の写真に「自己顕示欲」だと評価をつけ、手に入らないようなアイテムを持っている人には「自慢ですか?」と言いがかりをつけ、才能溢れる人が技能を発揮している所を見ては「承認欲求」だと失笑し、可愛らしいペットの動画で自分と育て方が違うと「虐待だ!」と騒ぎ立てる人もいます。

 

なぜそのような物の見方しかできないのだろうと、悲しくなってしまうのですが、しかしながら、人間は少なからず、なぜかこの不快な嗤いに共感してしまうのです。他者を「嗤う」気持ちは誰の中にも存在するのです。

 

先ほども少し触れたように「人に勝ちたい」という自尊心や「人に負けてしまった」という劣等感が歪になってしまうと、いつしか他者を見下す心(現代風に言うとマウンティングの心)となり、暴走してしまうのかもしれません。まるで猛獣のように、他人に噛み付いてしまいます。

補足:このような行為をただの指摘や議論であるという人もいますが、そもそも指摘や議論は実生活では両者合意の元でそれなりの場を作って行われるもののはず。
内容がどんなに正論であっても、相手が何も意図しない状況で一方的に行われるSNS上での指摘や議論は、突然相手に喧嘩をふっかける行為と何ら変わりありません。

 

歪な自尊心や劣等感ゆえに他者を嘲笑って見下すようにマウンティングする人」は意外にも多いもの。他者ではなく自分が歪な自尊心や劣等感を抱いている時には、他人に噛み付く人の物の見方に共感してしまうことがあるので、結果的に「嗤い」の感性に蝕まれてしまうのです。

 

すると不思議なことにあらゆる物事がつまらなく見えてしまいます。心から笑うことができなくなり、いつしか自分の周りには毎日「嗤い」しか無くなってしまう。

 

リリィ
リリィ

実は学生の頃のわたしも、ちょっと李徴みたいな所があったのよ。

ある程度の成績は取れたけれど、自分に無い才能を持っている友人を見ては妬んでいたし、成績の順位が落ちた時は、上位にいる人がコンディションを悪くしててしまえばいいって思っていたし。

リリィ
リリィ

人に勝つことと、向上心を履き違えていたのね。内心で他人を嗤っていたわ。まるで呪いみたいに。本当に毎日とてもつまらなかった。

ななせ
ななせ

「人を呪わば穴2つ」っていうものね…。

リリィ
リリィ

でもある時気づいたの。自分は一時的に誰かに勝ったことで何かを成し遂げたように錯覚しているだけだって。勝ちや負けでついた順位や世間の評価って相対的なモノでしかないってことを。

リリィ
リリィ

もうあの頃の自分には戻りたく無いわね。。。

ゆな
ゆな

リリィはさ、そういう失敗に早めに気づけてよかったね!

リリィ
リリィ

そうね!その時気づけたからこそ、たまに劣等感を抱えた時に「はっ!これじゃいかんぞ自分!」って奮い立たせることができるものね。

他の人が自分より下なら、一時的にその人に「勝つ」ことができます。それで自分が高い位置にいると錯覚を起こしてしまう。でも本当は相手のコンディションが悪いだけだとしたら?

 

自分の能力も努力も十分で無いまま他の人と競り合っても、自分の技能や内面が向上することは無いんです。

リリィ
リリィ

歪な自尊心と劣等感を抱え続けてどうしようも無くなって、知らずのうちに他者への攻撃心を育ててしまったら、きっとあなたも虎になってしまうわ。

 

だからこそ自分の中に居る猛獣とどう折り合いをつけていくか、それを考えることが大切なのではないでしょうか。悪循環に陥る前に、「誰かを嗤いたい自分」から脱却する方法を考えていきましょう。

 

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「嗤い」に疲れた時は、自分が変わらなきゃいけない

画像引用元:pixabay

もしも世間の目や誰かの「嗤い」に日々囲まれて生活しているなら、それは他者が作った歪なマウンティングの感情で出来た浴槽と、自分の自尊心と劣等感を浮かべたお湯の中に、ずっと浸かっているようなものです。

リリィ
リリィ

それはきっと、ホントに疲れると思うの。

 

そんな時はまず、その浴槽から抜け出さなくてはならない・・・そして無意識に行なっている誰かとの「競争」から降りましょう。誰かとの競争の中に自分の価値や立ち位置を見つけようとすると、ものすごく心に負担がかかります。

 

そして、解決方法は意外にもシンプルです。誰かと自分の比較ではなく、自分の理想と今の自分を比較すること。そして、自分自身が本当は何を望んでいるのかをまっすぐに認識し、本来目指していた理想の方角へまっすぐ向き直すのです。

 

自分をきちんと認識しようとした時、初めのうちはおそらく「わたしはちゃんとやってる!悪くない!」といった自尊心や、「だってわたしはあの人みたいにできない」といった劣等感を抱いていることに気づくはず。そこから逃避してしまうと、心の中の猛獣はフラストレーションとなり他者へ向かって「嗤い」という行為になります。

 

「嗤い」という行為を行う自分から脱却するには、自分の自尊心の高さや劣等感の強さをきちんと受け止め、現状を認めることから始めるのです。何者にもなれない自分、不甲斐ない自分、挫折した自分、叶えられない願いがある自分。まずはそれでいいじゃないですか。

 

リリィ
リリィ

どんなあなたでも、かけがえのない一人なんですよ。

いつか本当に心から笑えるよう、まずは自分を認めてあげましょう。

エゴグラムなどの診断ツールを使うと、自己認知に役立ちます。そして本当にあなたがなりたかった理想の自分や、やりたかった希望を再認識して、本来やるべきことに本気で向き合っていきましょう。
リリィ
リリィ

今日より明日、明日より明後日はきっと理想に近づけるはずだわ。

ななせ
ななせ

階段を積み重ねて登って行くようなイメージね!

ゆな
ゆな

ぶっちゃけそんな簡単じゃないけどさ、羨ましいなって思うあの人だって、きっとそうやって何かを乗り越えてるんだよね!

 

自分のやりたかった本来の希望を叶えたり、自分自身の習慣を変えるには、きっととてつもない労力が要ります。本来の理想の自分があまりにも現状とかけ離れすぎていて気が遠くなり、目を背けたくなるかもしれません。

リリィ
リリィ

どんなに高く素敵な理想があっても、誰だって一気にそこへは行けないのだから、初めはうまく行かなくても大丈夫!

 

しかし、理想や目標を叶えた人は誰しも、人から見えないところで相応の努力をしているものです。

 

写真や動画や文章といったインターネット上の情報から、相手の苦労を汲み取るのは不可能なので、他の人がなんの努力もせずにそれを簡単に手にしてしまったかのように見えるので嫉妬の心が出ます。それは錯覚に過ぎないのですが・・・。

リリィ
リリィ

山月記の李徴も、詩人になろうと決意したタイミングで、誰か師匠についたり、友人と切磋琢磨して本気で詩の創作の練習をしていたなら、虎になってしまうことはなかったんじゃないかしら・・・。

ななせ
ななせ

たぶん慢心もあっただろうし、「才能があるからできるはずだ!」っていう臆病さで、かえって自分を追い込んでしまったかのようにも取れるわ。

ゆな
ゆな

「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の暴走って感じだよね!

だからこそ、あなたには、自身の手で希望を叶える段階を、丸ごと体感して欲しいのです。

 

自分の理想や欲求を叶える行動をしてみて

自分の理想や欲求を叶えるために本気で行動をすることは、心からの笑顔に繋がります。では、どうすればそのような行動ができるのでしょうか。

 

身近な例を挙げながら、解決策を探りましょう。

【例1】身近な例なら、旅行。

ヨーロッパへ旅行に行きたいなと思っている時に、知らない誰かがSNSへ楽しそうな旅行の写真をUPしていたら?なんだか先を越されてしまったようで、きっと悔しくなります。

でも、そこで妬ましい気持ちで「自己顕示欲強すぎw」と批判しても、あなたが旅行へ行ける訳ではありませんよね。そんな時は、自分自身が本当にヨーロッパ旅行へ行けるように行動へ移すべきなのです。

 

1日100円貯金を始めてみましょうか?それとも通帳の整理や光熱費の見直しから初めてみましょうか?

 

ちょっと億劫に感じるかもしれませんが、自分の理想のために使う時間を上手に重ねていくことで充足感を感じるようになっていくはず。さらにそれを重ねているうちにきっと自然に楽しくなってくるはずです。そうしたらきっと心から笑えるようになるのだと思います

 

【例2】もうひとつの例は、誰かの才能が妬ましく思った時。

ついつい「あの人は承認欲求が強いんだw」とか「影で笑われてるくせにw」と思ってしまう時。

むしろ、才能のない人なんていないのだから、自分自身を見直す所からはじめて資格の勉強をしてもいいかもしれません。趣味のサークルを見つけても面白いかも。

リリィ
リリィ

才能溢れる人が羨ましいなら、自分自身も才能ある人になればいいのよね。

 

誰かがあなたの欲しいものを所有していたなら、あなたもそれを手に入れましょう。それがたとえ人間性の1つだとしても、自分が変わろうとした瞬間からあなたは変わることが出来ている。なのでそのままプランを現実のものにしていきましょう。

 

あなたが今いる状況はあなたが選んだ道の延長線上にありますか?もしそうでないのなら、誰かのせいで意図せずそのような状況に陥っているのだとしたら、あなたはそろそろ自分の未来を自分で選択する時にきているのかもしれませんね。

 

自分の中の自尊心や劣等感を扱いきれずにモヤモヤしてしまう気持ちがあり、他の人を見下す発言に共感してしまうような場合は、このように本当に自分のすべきことを再発掘して、自分に自信をつける行動をとってみましょう。

 

フォロワーは自分の鏡のような存在

もしも本当に心から笑って毎日楽しく過ごせる人になれたなら、周りには自然と共感して気の合う仲間が増えて行くでしょう。SNSで言うところの、いわゆる「フォローしている人」や「フォロワー」の存在も、きっとそうです。

 

あなたが心から楽しいものを求めているなら、楽しい雰囲気の人をフォローするはずですし、逆にあなたが楽しい雰囲気を振りまいていたなら、きっと周りには自然と楽しいことが好きな人が集まってきます。それが共感で繋がるSNSの「本質」だからです。

 

もしも今の現状がそうでないのなら、無意識に自分より下の人を見つけて「嗤う」人に共感することで、自分を安心させているのかもしれません。そんな生活はやめて「心から笑える」ようになりましょう!

 

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心から笑いたいなら…?自分から行動しよう♡

画像引用元:pixabay

冒頭の国語辞典で、「笑う」というのは“うれしさなどで顔を柔らげ声を出す”ことと定義されていましたね。楽しいことというのは誰かとの交流の中に見い出しがちですが、実は、日常の嬉しいことは必ずしも誰かが運んできてくれるものではありません

 

特に社会人は学生時代と違って、仲が良く気が合う人だけが周りに居る環境では無いので、時には自分自身の力で楽しいと思うことを探さなければならないんですよね。

 

そして楽しいことを行うには、ちょっとの「面倒」や「努力」が伴うということも覚えておくと良いかもしれません。

 

心から「笑う」にはそうやって自分の本気の行動によって自分の心を満たし楽しいことを楽しいと思える感性を、自分自身の手で育てて行くことが大切です。

 

そういった小さな習慣の積み重ねをして、理想や目標に手が届く時、きっとあなたは満たされて心から「笑える」ようになるはずです。

 

そして「心から笑える」ようになった時、毎日が楽しいと思えた時、きっとあなたは「嗤い」から脱却し、たくさんの笑顔の友人に囲まれているはず。

 

少し厳しいようですが「心から笑えるようになる」には、他人ではなく自分に勝たなければならないです。目標をまだ達成できていない弱いを認めて現状から脱却し、自分を満足させる楽しい状況を作り出すのです。

 

つまり、本当は、自分の敵は自分自身なのですね。心の中にいる猛獣を飼い慣らせば、きっとそれはあなたの人生にかけがえのない大きな力になるはずです。

リリィ
リリィ

わたしもね、昔と違って自分の心に住むの猛獣を、上手に扱えるようになった気がするの。

リリィ
リリィ

この記事をここまで読んで、共感してくれたあなたと、いつか笑ってSNSで会話をしてみたいな♡

 

それでは最後に、この記事をまとめましょう。

まとめ♡『笑いと嗤いの違い』と『心から笑えるようになるために』

  • 「笑う」はうれしさなどで顔をほころばせて感激すること
  • 「嗤う」は他人を嘲笑すること・あざ笑うこと
  • ネットの匿名掲示板やSNSには「嗤い」が蔓延っている
  • 「嗤い」という行動には他者へのマウンティング(歪な自尊心と劣等感)が関わっている
  • しかし実は自分の中にも他の人を「嗤う気持ち」が存在する
  • 共感することで「嗤い」の感性に蝕まれてしまう
  • 「嗤い」による誰かと自分の比較や競争は疲弊する
  • 「嗤い」から脱却するのはとてもシンプル
  • 自分の理想と今の自分を比較する習慣をつけよう
  • 正しい自己認知ができるようになる(エゴグラムなどを活用)
  • 理想や目標に手が届く時、満たされて心から「笑える」ようになる
  • 自分の手で自分の心を満たし、楽しいことを自分から見つける
  • 楽しいことを楽しいと思える感性を育てる
  • 他人ではなく、自分に勝つ
リリィ
リリィ

なんだか偉そうなことを書いてしまいましたが、今回も過去のわたしの失敗談のようなものなの。

リリィ
リリィ

過去の自分にいい聞かせるみたいな気持ちで書いてみたわ

リリィ
リリィ

でも、本気で困っている人がいるなら、何かヒントになるかもしれないと思ってあえてコラムにしました。

 

誰かの役に立てば幸いです。この記事が「いいね!」と思ったら、ソーシャルブックマークやSNSへのシェアをぜひお願いいたします♡

ココロ美人になるコラム
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